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父の墓参りに行った

兄の年が、亡くなった父に追いついたので、

「呼ばんといてや・・・」と手を合わせた

 

私の両親は駆け落ち同然の結婚だった

 

小学生のとき、母に連れられて宝塚の御殿山に現存する当時の棲家を訪れたことがあった

たくさんの住み込みの弟子を採っていたと聞いていたが、なるほど立派な日本家屋だった

かつての住まいをぼんやりと眺める母の横顔には、懐かしさや哀しさや後悔がごちゃまぜになった、複雑な色が浮かんでいた

子供だった私は、何と声を掛ければいいのかわからず、ただ見て見ぬふりをした

 

父は、容姿が人の目を引くタイプの人だった

生前、私が小学生の時も、大人子供問わず「かっこいいお父さんやね」と褒められ、無言でやり過ごしながらも誇らしい気持ちになった

よく酒を飲みタバコを吸い博打を好む人だった

 

そんな父は肺に癌を患い、44歳になってまもなく短い人生を閉じた

 

当時母は41歳だった

 

若くして未亡人になった女性が一人で息子三人を育て抜くのは並大抵の覚悟ではなし得ないことを、今、親になってみて改めて思い知らされる

 

三男の私が大学を卒業し家を出るまで、たった一度も弱音を口にしたことはなかった

拙かった私には、むしろ平然とこなしているようにさえ見えていた

 

大事なものを守るということは、そういうことなのだと大人になってから身に沁みた

 

経営者となって10年目を迎えた

私にも少しずつ「構え」が身についてきたように思う

山も谷も当然あるが、母が体を張って私に見せてくれた生き様は、構えの礎となって今日の私を支えている

 

あの日、横目で見た母に浮かんでいた哀愁は、彼女の芯から滲み出ている優しさと無関係ではなかったはずである

 

苦しみや哀しみが人を強くする

何とも切ないが、これまでも脈々と続いてきたことなのではないか

であれば自分は恵まれすぎている

人生まだまだこれから勉強だ

 

お墓参りをしながら、そんなことを考えていた

 

 

 

 

 

 

 

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